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つくり手を訪ねて
素材と人の、自然のままが生きるジャム―ジャムカフェ可鈴 上野可鈴

2016年5月

今や言わずと知れた糸島でも、ブームの中心地からは少し外れた静かな住宅地。その一角に、居心地の良い、のんびり寛ぎたくなる小さなカフェがあります。そのカフェの名は、ジャムカフェ可鈴。ジャムカフェ可鈴は、ただ居心地の良いカフェというだけではありません。糸島でも人気の、果物などの素材の食感が生き生きと感じられるジャムを作り出す工房でもあるのです。

人気のジャムを生み出す店主の上野可鈴さんに、「ジャムカフェ可鈴」に込められた想いをお伺いしました。

【ゆるい雰囲気が好きだった子ども時代】

取材の冒頭、子どもの頃に好きだった食べ物を尋ねると、お茶を淹れてくださったお母様から「この子は、鯛のあら炊きが好きだったのよ」との一言。ジャムのイメージからは縁遠い、なんとも古風な大人好みの料理です。子どもの頃の可鈴さんは鯛の骨を選り分けて、少しでも食べられる部分を「発掘」する、地道な作業が好きだったと言います。当時のお住まいは、福岡市内のとある団地。自然と友達が集まる、たまり場のようなお住まいだったとか。

「母は、おいでおいでっていうわけじゃないんですが、拒否がない。別にそんなに歓迎するわけではないけれど、来ないでっていうのは全然ない。いつ来ても『あぁ、いらっしゃい』みたいな。私がいないときにも、友達が母に相談に来ていたりして、後から『(友達が)来とったよ』『えぇー』って(笑)」

確かにお母様は、すごくお節介を焼いてくれるわけではなく、自然な温かさのある不思議な雰囲気です。そんなお母様と、登山家で、山に行くといつ家に帰ってくるかわからなかったというお父様、そして可鈴さんの3人暮らし。

10歳からフルートを習い始め、中学では吹奏楽部に所属した可鈴さん。あまりにハードで中学時代は「燃え尽きた」と言います。高校に進学すると、ハードな中学時代の反動から、友達と一緒に化学部に入ったとか。

「ミョウバンの結晶を作ったりしていました。すごく地味な、そういうのが好き。何か作るのが好きで。化学を勉強していたというわけでもないんです、ほとんど。不思議な高校生で。あの、ゆるい雰囲気が好きだったのかな。中学の時は先輩後輩の関係がしっかりしていて、体育系の感じだったから、文化部のゆるい感じに憧れていました」

お母様の雰囲気からもうかがえるように、可鈴さんはきっと幼い頃から自然体でゆったり過ごせる場を大事にして育ってきたのだと感じます。どうやらその辺りに、ジャムカフェ可鈴のルーツもありそうです。

【辛いときの自分の拠り所が、カフェだった】

高校で化学部に入ったとはいえ、一方で地道にフルートを続けていた可鈴さん。高校卒業後の進路を考えるに当たっても、フルートという存在が心の中にあったと言います。

「始めた当初は音が出なかったけれど、『音が出せた!』みたいな小さい課題をちょっとずつ達成できる。そんな達成感があるところが好きなのかもしれません。」

もっと音楽のことを学びたいという気持ちから、大学では音響科学部に入ります。音響科学部では、音楽に関することはもちろんですが、物理学や心理学など、音にまつわることを様々な角度から学ぶことができ、また同級生も個性ある人が多く、多様な仲間ができて楽しかったと言います。

ただ、4年生で研究室に入ってから、状況が一変します。教授からのセクハラをきっかけに、休学を余儀なくされたのです。

「精神的に参って、学校に行けなくなりました。嫌だという気持ちも言えなくなった。追いつめられて、病院に駆け込んだりもして、大学を休学しました。3ヶ月くらい引きこもり。他の先生は心配してくれたけれど、その心配が逆にプレッシャーにも感じてしまうようになっていました。」

精神的に厳しい状況のなか、なんとか「社会生活」をしようと、まずはアルバイトから始めました。最初はそれさえうまくできなかったという可鈴さんですが、少しずつ外に出られるようになり、4月からはやっとの思いで復学。単位は足りていたので、別の研究室で卒業論文を書いて、卒業することだけはできました。

「どうしようって思いました。就職活動はできず、あんまり就職活動というものにこだわらず、自分が生きていく道を考えようと思いました。」 とはいえ、同級生がどんどん一流企業に就職していくなか、次第に焦りの気持ちが強くなります。

「そんなのときの自分の拠り所が、カフェだったんですよね。自分の気持ちを洗い出したりとか、ぼーっとしたりとか、そういう時間が自分にとって大事だったから。じゃあ、そういう場所がたくさんあったらいいと思ったんです。居場所がないなら自分で作ろうかなと」

居場所がないなら自分で作ろう―――その想いが、ジャムカフェ可鈴を開業する原点だったのです。

【団地の建て替えが、動き出すタイミングに】

とはいえ、いきなり開業とはいきません。まずは友人のつてで飲食店に勤め始めます。ハードな勤務に苦労しながらも1年半ほど勤め、その後は経営について学ぶためにカフェの学校に通いました。さらに、市内のレストランや喫茶店で、何年もあくせくと働きます。気づくと、勤める喫茶店でも責任のある立場となっていました。

自分のカフェを作るタイミングがつかめずにいたある日、不意に子どもの頃から暮らしてきた団地の建て替えが決まります。

「家を探そうという話になったときに、自分の目標を母や父が知っていたので『せっかくだったら、カフェができるところに引っ越したら一石二鳥だよね』となったんです。」 団地の建て替えが良いきっかけとなるように、ご両親が提案してくれたというわけです。そして、たまたま飛び込んだ不動産屋で紹介されたのが、今のジャムカフェ可鈴がある物件でした。糸島という場所を狙ったわけではなく、ただ、なんとなく西の方が明るい雰囲気があるかなと、糸島の物件を紹介してもらったんだとか。まだ合併で糸島市ができる前、前原市の時代のことです。

「この物件、中古なんですよ。もともと電器屋さんなので、まるまるガラス張りでした。」 カフェに改装するイメージがふくらみ、まちの雰囲気も気に入って、可鈴さんは引っ越しを決意しました。

【嫌いだったジャムが、作ってみたら美味しかった】

引っ越してから1年、ようやく勤めていた喫茶店を離れることになり、目標のカフェ開業へと動き出します。このときから、ジャムを作るというアイデアはあったと言います。

「ゆっくりできるカフェがいいなって思っていたんですが、カフェの経営ってすごく大変で。回転率を上げて、お客さんがいっぱい来ないと、経営的にどう考えても無理なんです。利益率も低いし。いろいろ考えて、そうだ物販をしなきゃと思って。それで、ジャムですよね。」

ジャムを作ればそれがカフェの特色になるだけでなく、ゆっくりできる場所でありながら、物販による収入を得ることもできると可鈴さんは考えました。しかし、ジャムというアイデアも簡単に生まれたわけではありません。ましてや、その数年前までは、なんとジャムが嫌いだったのです。

「嫌いだったんですよ。ジャムっていうと、給食で出てくるビーって破って出すような袋入りのジャムとか、ホテルで出てくるパック入りのポロンと塊でとれるような、なんだこれゼリーじゃないかって思うようなジャムとか。もともとペースト状のものが嫌いな人間なんです。子どものときから、ハンバーグよりステーキが好きでしたし。歯ごたえが好きで。」

ジャム作りを始めたのは、糸島に引っ越す数年前のある日のこと。不幸ごとがあった際に、わけありのりんごを大量にいただき、どうやって消費するか困ってしまったのです。そんなとき、お母様から「ジャムかなんか作れるっちゃないと?」と提案があったと言います。

「ジャム?私がジャム作るんですか?って。でも、リンゴを捨てるのももったいないと思って、本で形を残すジャムの作り方というのを読んで、とりあえずこれで作ってみようと思いました。作ったら美味しくって、ビギナーズラックでうまくいって、調子に乗っちゃって。いろいろ試して、いっぱい作って友達におすそ分けしたら、友達もすごく喜んでくれて」

ジャムカフェ可鈴の食感を生かしたジャムは、可鈴さんがかつてジャムを嫌いだったからこそ生まれたジャムだと言えます。さらには、糸島に引っ越してきたことも、ジャム作りにプラスに働きました。

「(糸島では)みかんとか、色々なものが身近に売っているから、『あ、これとこれ組み合わせよう』とか、『これ作ろう』とか、本当にいいタイミングで引っ越したから、自分の熱が冷める前に新たな情報が入ってきたんです。『これ売ればいいやん』って友達にすごく言われていたのが頭の片隅にあって、それで、物販と言えばジャムだよねって。でも、こんなにジャムが売れるとは思いませんでした。」

骨を選り分けながら鯛のあら炊きを食べるのが好きで、ペースト状のジャムが嫌いだった可鈴さん。こうしてジャムカフェ可鈴のジャムは、どんな素材の、どの部分を口に運んでいるのか、素材を丸ごと感じながら食べることのできる、可鈴さんならではの特別なジャムになったのです。

【ジャムとカフェの両輪から生まれる循環】

大工さんも楽しみながら改装工事をしてくれたというジャムカフェ可鈴。オープンしたのは、2013年10月のことでした。悩んだ末に「ジャムカフェ可鈴」というシンプルな名前にした決め手は、ここでもお母様の「ジャムカフェ可鈴でいいんじゃない」という一言。

「(悩んでいても)最初は相談しないんですよね、くやしいから。いつも、ある程度土台作って、ここまで考えたけど答えが出ないってときにしか(母には)言わない。」

可鈴さんがいつも自分一人で考え尽くすタイプだからこそ、お母様の一言がここぞというときに効いてくるのかもしれません。 単なるジャムの工房でもなく、単なるカフェでもないのが、ジャムカフェ可鈴という場所。ジャムを煮るという工程が、ジャム作りのなかで一番好きだと可鈴さんは言います。それがちょっとした精神安定剤のような、無心になれる時間をくれるんだとか。ジャムカフェ可鈴は、確かに可鈴さんにとっての居場所でもあるのです。

「忙しいお店にしたくないっていうのが一番にあって、自分がいたいお店にしたいから、両方ないとダメなんですよね。ジャムだけ作っても面白くないし、やっぱりカフェがしたいっていうのが根底にあるから、カフェはしたくって。自分の居場所でもありますから。」

友人のコンサートを開くなど、音楽に縁のある可鈴さんならではのイベントも開催しているジャムカフェ可鈴。もうすぐオープンから3年。糸島でのつながりを広げながら、今後も少しずつ、新たな展開を見せてくれそうです。

「(ジャムの素材は)最初は産直などで購入していたけれど、やっぱり直接購入する方がいい。こういうふうに使ってるんです、こういう商品になって、こういうふうに喜ばれていますっていうくらいのリアクションを農家さんにきちんと伝えていくのも大事なのかなって思っています。」

素材そのものが食べる人に伝わるだけでなく、そのフィードバックを農家さんにも返していく。そんな循環によって、ジャムカフェ可鈴だけでなく、糸島という地域の暮らし全体がさらに居心地の良いものとなりそうです。

可鈴さんが自身の居場所をつくることで、素材のままを感じるジャムと、人の居場所が生まれる。そしてさらに外へと広がっていく。ジャムカフェ可鈴のジャムには、そんな素敵な可能性も、まるごと詰められていたのです。


インタビューと文 野島 智司
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